「広告はラブレター」という言説が話題になっている件

投稿者: | 2008年11月6日

面白いもので、私がいつもよく見ているブログで、

広告はラブレター」という言説についての話題が同時期に取り上げられている。


もちろん、これは一つのインフルエンシングなブログ(ここではsmashmediaさんかな)がほかに影響を

与えているということなのだろうけど。


こうしてどんどん話題が拡散していくことに、改めてWWWな時代であることを実感しますね(月並みな表現で申し訳ありません。。


ということで、smashmedia河野さんのブログの記事に誘われて、

まとめ的なものと少しだけ感想を書いてみたいと思います。


取り上げられていたブログ記事とその核心部分をあげると(青字はWEBMANがつけました)、、、


広告=ラブレター論の陥穽。 


naoto_yamamoto:Blog



「今、私は広告業界の人と直接仕事をするのではなく、マーケティングの世界から広告を「one of them」として見ているのだけれど、そうなると「広告=ラブレター」というのは、特殊なルールを前提にしているのである。それは「いいラブレターを届けて読まれればもてる」という前提だ

しかし、今の消費市場はそんなものではない。

殆どの市場で調査すればわかるが、購入決定要因における「価格」の比重は高まっている。・・・」






そのラブレターは望まれていない


smashmedia



(上記の広告=ラブレター論の陥穽。を受けて)

この辺の話は「ラブレターを渡せば何とかなる」とか、そもそも「ラブレターをもらったらみんなうれしいはず」という勝手な幻想に基づいている。そんなのリアルな世界にいたら、超KYじゃねーかと。相手の気持ちは無視かよ。

ちゃんと「ただしイケメンに限る」って書いてあるでしょう。

・・・(中略)

直近に読んだので引用すると、「パーミションマーケティング」においてセス・ゴーディンはすべてのマーケティングはスパムである。と明言している。ぼくらはそこから始めなきゃいけないってことをもっと考えないと。だからこそのパーミションであり、だからこそのエンゲージメントだと思う。

昨日の読書会でも、「どんなにパーミションを築いても、けっきょく消費者は安い賞品を買うじゃん」って意見が出てたけど、まさにそれが真実だと思う。




「広告はラブレター」という言説が若い人の間で話題になっていたみたいなので。 


ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

バブルを学生として過ごし、バブル崩壊とともに社会に出た広告業界の中の人である私は、このあたりのことをどう考えているかと言うと、こんな感じです。

(中略)

よくね、若いコピーライターの人が感銘を受ける言葉に、前段に書いた「コピー(広告)とは企業から消費者へのラブレターである」というのがありますよね。こう書くと、コピーライターは、すごくいい気分になるんです。でもね、あえてネガティブなことを言いますが、そうして一生懸命に書いたラブレターが「このラブレターきもい」って簡単に言われちゃうのも広告コピーであるんです。残酷だけど、それが広告の現実です。糸井さんが書いていた飽きるということに関して言っても、面白すぎるものは、すぐ飽きる、というのも現実であって、特に長く運営していくキャンペーンなんかでは、じつは、この設計というか頃合いがいちばん難しいと思っています。









・・・仕事上、ラブレターをずっと書く仕事ではありますが、「広告はおじゃま虫である」とは思うんですね。というか、この前提は、今にはじまったことではないと思いますし、優れたラブレターとしてきちんと機能している広告は、この前提をきちんと認識しているような気がします。今も昔も。





・・・こういうことを言うといろんな方面から誤解されそうなんですが、わかりやすく言えば「広告よ、分をわきまえよ。」ということなんですよね。話はそこからなんですよ。だって、コミュニケーションって言っても、本音はものを売りたいっていう商売がベースなんですから。



ラブレター型?なし崩し型? クロスメディアの使い方

業界人間ベム



(クロスメディアについて語る文脈の中で)

●テレビという「マス(大衆)を導く天の声」が大きな影響力を持っているときに、憧れの世界へと誘う「広告」は、口説いて欲しい消費者に熱望されていた。それは、ときにシニカルだったり自省的であったり、そのたたずまいは変化してきたが、口説きとして十分機能することはできた。

ところが、

●テレビ以外の接点が格段に増え、例えばデジタルの力で、もっと個人向けに「ラブレター」然としたお誘いメッセージがバンバン届く状態が日常化した今日。(申し訳ないが、粗製乱造な感は否めない)になってくると、ひとはどう変わるのでしょう。

残念ながら、ラブレターという、「結局口説きたいんでしょ!」というスキームそのものが、鬱陶しく、もはや開く前に捨てるような状態に行き着いてしまうわけです。素敵なラブレターが混じっていたとしても。

自分が好きなことは自分で探せるし選べるの!もう受け身な私じゃないの!ということでしょうか。

そんな自立した消費者の言うことを聞こうと変に下手に回るとむしろ大変です。

じゃあどうしたら話しを聞いてくれるの?と問いかければ問いかけるほど溝は深まるもの。嫌いな言葉ですが「うざい」と感じられたら、かなりまずい関係になります。

そういうコミュニケーションも意外と世の中にありますよね。







さとなおさんの「明日の広告」もそうだけど、やはり消費者の変化ということ(河野さんのブログには消費者の変化について直接的に記述する部分はなかったけど。)が大きいんだと思います。

確かに昔はラブレターのように機能する広告が多かったのだけど、今はなかなかそれが難しくなっているのは、受け手側の変化ということが確実にありそうですね。

変化というのは、巷に溢れる過剰な量の広告メッセージへの接触による慣れ、ということだと思います。



ちなみに私の今の考え方は、広告は本来セールスレターですが、ドキドキ感やワクワク感なんかを与えられる場合は、今でもラブレター的な機能を果たすこともある、というものです。

今の時代に大衆全般の心をつかむ広告表現なんてあり得るのか?ということがあるかと思いますが、私はあると思っています。アメリカ大統領選のオバマ人気なんていうのも、ちょっと近いのかも。

つまりクリエイティブな訴えかけをいかにできるか、ということに尽きるような気がしています(こういうとマーケティング側の方からは突っ込まれそうですが、、、クリエイティブで人の感情を動かすような力のある訴えかけは、やはりOne to Oneというよりもマス広告の方が向いている場合も多いような気がします。One to Oneの広告には、他の人と共有していくような広がりを持たせるのは難しいですからね。

あと、「イケメンに限る」かですが、これは勿論広告表現自体が優れている必要はありそうです。)。

広告を本業にする方からも、自嘲気味な言葉(「広告よ、分をわきまえよ。」など)が出てきていますが、逆に今の時代より一層クリエイティブな広告表現が求められているような気がしてなりません。



と書いてきましたが、ほんと広告の役割とか意義とか、その限界についてはもう少し整理していかないと駄目ですね。。。

大学生の頃は、広告なんて、人間の心を企業側の勝手な意図で動かすためのもの、資本主義の権化なんて感じで、忌み嫌って、絶対広告業界なんて行くか、なんて思っていた私ですが、今となっては広告業界人のはしくれ。

個人的には、昔の会社の上司が言っていたように、広告とは、それに接触する消費者に新しい生活感を提示するものである。」というようなことは、今までもこれからも大きいのでは、と思っていますが。。。





 

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「広告はラブレター」という言説が話題になっている件」への1件のフィードバック

  1. 河野

    1 ■smashmedia@gmail.com
    紹介ありがとうございます。
    引用されて自分の誤字に気付くとは、本当に恥ずかしい。>安い賞品
    もちろん「商品」ですね。あわてて修正しました。

    あと誤字ついでに。
    > 青字はWEBMANがつけました
    赤字ですねw
    http://smashmedia.jp/blog/

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