日経 私の課長時代 日産志賀COOの記事が面白かった件

投稿者: | 2008年7月29日

この頃月曜日の日経新聞朝刊には、私の課長時代という、今やお偉いさんに

なった人々の課長時代がどんなだったか、というコラムがあり、なかなか興味深く、

ひそかに毎週楽しみにしている。

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先週・今週は日産自動車の最高執行責任者(COO)志賀俊之さんが取り上げられていた。

志賀さんというと、ゴーンというカリスマがルノーの仕事も兼務するようになったために、

その仕事を引き継いで、日産の改革を進めるというちょっと荷の重そうな仕事にについてしまった人で、

思いっきり外野の人間から見て、大丈夫なのかな?という感じだったのだが、

このコラムを読んで、あーこういう人なのか、、、といらぬ心配もぶっ飛んでしまった。

先週の記事によると、

 

日産自動車の志賀俊之最高執行責任者が課長になったのは、一九九一年、それは

普通の昇進ではなく、たった一人の課長兼事務所長として異国に赴く。”左遷”だった。

直情径行の「若気の至り」が災いした。

 

とのこと。

 

三十三歳で日産のアジア太平洋州営業部の若手部員として「インドネシア再参入計画」の

責任者となり、再参入に向けて粉骨砕身で事業計画をまとめ、経営会議に諮るも会えなく却下されてしまう。

 

志賀さんはその却下に憤り、おそらく「なだめるか怒るかで却下されるはず」という計算をしながら役員に直談判したところ、思いがけなくその役員から「分かった」と言われ、作るモノも売るモノもない(”再参入計画”が却下されたばかり)インドネシアにたった一人で放り出されたのだとのこと(事実上の左遷に近い形になったしまったとのこと)。

志賀さんは”若気の至り”と書いているが、肩透かしというか、、、思わず電車の中でにやっとしてしまった。

こういうことってあるんだな、、、、

 

今週の記事では、

 

一九九一年、自ら志願してインドネシアに赴任した日産自動車の志賀俊之最高執行責任者(COO)は、

現地の月を眺めながら、つらい三年間を送ることになる。

(中略)

孤独に耐えること三年。ついに転機が訪れる。九四年、インドネシア政府が外資規制を撤廃し、、、、

その年日産も同国での工場建設にGOサインを出す。

 

ということで、つらい日々とそこからの脱却の過程が書かれていた。

 

おそらくこの三年の孤独な期間が、志賀さんを鍛えたんだろうな、、、と思われた。

コラムによると、実際この時期にため込んだ海外戦略の持論が、後の昇進のカギともなったようだ。

 

そして、その孤独な期間を乗り越えられたのは、件の役員からの「再起を期すんだろう。

見ててやるからがんばれ。」という電話だったとのこと。

 

これはすごくいい話で思わず胸が熱くなってしまった。

 

もしかしたらこの上司の人は初めからインドネシアの市場としての

有望性を分かった上で、そこで活躍しうる志賀さん現地に送ったのかも。すごく長期的な

視野のある人だったのかも。。そんなことも思いました。

結局異国の地で苦労した経験が今に生きているということなのだろう。

逸話として面白いとともに、非常に考えさせられる内容だった。

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